釈尊に学ぶ「今を生きる智慧」~寺子屋三宝庵~
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冥想・修行








世の中には、様々な修行方法があります。どの修行方法が良いのかは、実践してみた人にしか言えないものです。実践する前から非難するのは、頭が固いということになります。
人の言うことをすぐに鵜呑みにするのも、、私達の目指す「知識人」からは離れています。仏教は「来たれ、見よ」(自分で試して確かめてみなさい)と堂々と宣言する確かな教えです。瞬間瞬間に変化する私達の命を瞑想修行で見極めたいものです。







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四国を歩いて一周する「四国遍路」は、一般に「おへんろさん」と呼ばれる修行方法です。
四国一周約
1,400kmを一ヶ月余りかけて歩きます。その道中にお寺があり、一周すると合計八十八ヶ所のお寺をお参りすることになる、日本古来からの修行です。

また、四国には「お接待」と呼ばれる「お布施」が、「おへんろさん」に対して行なわれる土地柄です。遍路中は何かと人の親切さに触れることが出来て、他人の生き方を認め合うという、広い心が育てられたように思います。
真言宗的に言うと、「心の曼荼羅」が広がった感じがしました。


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滝の水に打たれながら、大きな声で読経をする修行です。滝の水は清らかです。
それは、高い方から低い方に常に流れているからです。よどんでしまうと、水も腐ってしまうのです。このように、自分の持っている能力を、不足している方に自然に流すことで、自分の清らかさを保つことを滝に打たれながら身体で学ぶのです。
その能力は、力でも知識でも、優しさでも財力でも何でも良いのです。自分の能力を人様のお役に立たせる時に、自分が輝いていることを感じてもらいたいものです。


また特に、氷柱の下がる中、大きな声で読経する滝行はのどを鍛え「寒声修行」といわれます。「娑婆声」を卒業して、僧侶らしい声になるのです。

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この三業が清らかになると「三密」と呼ばれます。それが私が高野山真言宗で学んだ密教の教えです。清らかにするために、手に印契を結び、口に真言を唱え、心に仏の慈悲を観想するのです。
どのような人間になりたいかという目標によって、信仰する神仏を決めて、その神仏と一体となれるように祈ります。




この作法に則って、印を結び、真言を唱え、観想をすることを、「有相の三密修行」と呼びます。さらに進んで、日常生活の中で自分の「身・口・意」の三業をそろえることを「無相の三密修行」と呼びます。この「無相の三密修行」の実践方法は、最後に紹介するヴィパッサナー瞑想となります。





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私にとっての山岳修行は、大峰山と呼ばれる日本で唯一の女人禁制の山での修行でした。命を懸けるほど厳しく、しかし互いに気を配る、大変規律正しい修行です。山での修行仲間に対する基本的な挨拶、休憩場所や道の譲り方を学び、水や食料の譲り合い、さらには清掃活動も合わせて行なう、「トータル的人格陶冶」です。何かを信じる「心の弱さ」から離れ、日常生活を自分の力で正しく送れるようになることを目標とした「山の行より里の行」の訓練といえます。
山の行では、呼吸する毎に大自然とのつながりを感じられると思います。

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私は幸せでありますように 

私の悩み苦しみがなくなりますように 

私の願いごとが叶えられますように 

私に悟りの光が現れますように 

私は幸せでありますように(三回唱え、そのあと心の中で繰り返し念じます)

 

私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい人々の願いごとが叶えられますように

私の親しい人々にも悟りの光が現れますように

私の親しい人々が幸せでありますように(三回唱え、そのあと心の中で繰り返し念じます)

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(三回唱え、そのあと心の中で繰り返し念じます)

 

私の嫌いな人々も幸せでありますように

私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように

私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(三回唱え、そのあと心にしみこむまで念じます)

以上の言葉を、心の中であるいは声に出して、好きなメロディーで唱えます。朝晩二回、十五分ずつ、または朝か晩に一回三十分間、二週間欠かさずに唱えると、どのように生きるべきなのかという悩み苦しみがなくなります。
私が幸せであるだけで良い、という小さな殻を破り、すべての人すべての生命の幸せを祈るのです。すると、この世の中をいつもハッピーに生きていける思考が育つのです。










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ヴィパッサナー瞑想は「観察型瞑想」です。「生きている」ことは、「苦しい」ことである、と観察します。じっと座っていても、立っていても、横になっていても必ず苦しくなります。じっとして存在している事は苦しいのです。しかし、動き続けることも苦しくなります。さらに、「年を取ること」「病気になること」「死んでしまうこと」これらのことは勝手に起こって、しかも私たちを苦しめるのです。さらに、弱肉強食の生命の世界で、幸せに生き続けるという願いが成り立たない事に気付くのです。

ヴィパッサナー瞑想では、自分を含めた万物が、瞬間瞬間変化消滅するという「無常」を観察します。自分も周りも刻々と変化する川の流れのように観察すると、永遠に変わらないで欲しいという「執着」が成り立たない事に気付きます。そうして変化という「無常」を受け入れた時、心はやすらぎを体験するのです。さらに、自分も変化するという事は、より良い自分に変えていくいくことが、誰にでも出来るという事でもあるのです。

このヴィパッサナー瞑想は、誰にでも、どこででも出来て、必ず幸せに至る、お釈迦様のお説きになられた最高の修行方法です。しかし修行の方法を学ぶ最初の時には、必ず師の指導を受けなければなりません。無我への修行ですから、自我で自分勝手に修行をしても成功するはずがないのです。

初めての修行は、スマナサーラ長老の下で、ご指導を受けられることを強くお勧めいたします。

また私でもよろしければ、初歩の初歩程度ですが、日程調整の上でお話させて頂くことも出来ます。ぜひとも心を清らかにする修行をしてみたいと思われる方は、どうぞご連絡下さい。



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